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絶交から家庭菜園へ 還暦世代が見送った哲学する友との20年
還暦を迎えて1年。
今夏、20年来の大切な友人を亡くしました。
絶交状を郵送で送りつけられ、それからが更なる友情を深めた思想信条の異なる友。
それでも「哲学すること」「考えること」「対話すること」を共にし、家庭菜園やクラシック音楽を通じて深い絆を築きました。
最期を看取るまでの記録を振り返り、人生における友情の意味を綴ります。

友との出会いと「絶交状」
20年来の友人、A大兄。
一人暮らしで天涯孤独の人でした。
年齢は一回り以上違ったが、友人の紹介を通じて出会い、互いの思想信条を率直にぶつけ合った。
「自分の大切なものを踏みにじったやつとは付き合えない」と絶交状まで送られてきたこともあった。

それでも再び自然に付き合うようになり、彼は私に「厳しい言葉」と「深い学び」を与えてくれる存在となった。
家庭菜園で育んだ友情
今年の春からは、我が家の小さな庭で家庭菜園を一緒に始めた。
彼は数年の経験者であり、指導役となった。

ナスやトマト、キュウリを育て、土づくりから収穫までを共にした。
畑の半分は彼の苗、半分は私の苗。
土づくりから始まり、夏には食卓を彩るほどの収穫があった。
畑仕事を通じて過ごす時間は、彼にとっても私にとってもかけがえのないひとときだった。
畑での作業はお互いの生きがいにもなった。
クラシック音楽と哲学の対話
A大兄はクラシック音楽を愛し、20代で、ベートーベンの墓参りにまで行った人だった。
膨大なCDコレクションを持ち、私にも「初心者が聴くべき曲名・作曲家リスト」を渡してくれた。

私も自然とその世界に引き込まれていった。
借りたCDを聴き、やがて自分でもリストに基づき少しずつ購入するようになった。
クラシックを通じても、彼から学ぶことが多かった。
クラシックを通じて、彼との対話は「音楽」「哲学」「生き方」にまで広がった。
病との闘いと「裸の付き合い」
3年前に癌の手術をした彼は、春から体調が悪化。
畑に来てもパイプ椅子に座ることが増えた。
それでもおにぎりや卵焼きを持参し一緒に食べ、農作業の汗を流した後にクラシックとチョコレートを楽しむ姿は変わらなかった。

自身の死期を感じながらの日々だったかもしれない。
8月末の検診を待たずに体力が落ち、病院に行くことになった。
前夜、彼に頼まれて身体を洗う手伝いをした。
「本当の裸の付き合い」とは、このことだと思った。
翌朝、妻とともに病院へ連れて行った。
そのまま入院が決まり、その後も私と妻は彼の頼みで自宅の片付けや必要品の買い出しをした。
やがて一時退院の予定日を決めたが、その前日に意識が薄れ、危篤の知らせが入った。
最期の対話、そして別れ
病院で声をかけると、ゆっくり目を開けて反応してくれた。
翌朝、午前8時48分。
A大兄は静かに旅立った。

絶交状を送りつけてきた友。
思想信条の異なる友。
しかし彼は、私に「哲学すること」「考えること」「対話すること」を教えてくれた。
畑での共同作業、クラシック音楽を通じた学び、そして数えきれない対話の時間。
妻と母と共に彼のもとへ参り、最後の別れを告げた。
還暦を過ぎたこの年に、かけがえのない友を失ったことは、私に大きな問いを残した。
哲学する友から学んだこと
A大兄の人生の最期に寄り添えたことは、私にとって大きな意味がある。
家庭菜園の時間、クラシック音楽、そして数えきれない対話のひとつひとつが今も胸に残っている。
彼の名は― A大兄。
私の人生に、哲学と友情の深さを刻んでくれた友人である。
昨日、火葬が済みお骨になったA大兄のお参りに行った。
家に帰って来たら、暗闇の中に彼が植えてくれた芙蓉が花を咲かせていた。
今朝、その芙蓉の花の写真を撮った。



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