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今年2月に住宅建て替えの工事請負契約を締結し、3月に旧宅取り壊し、4月着工、5月21日には上棟と順調に工事が進んでいる。昨日5月28日が金物検査だった。金物検査とは、建物の上棟後に柱と梁、梁と梁、垂木など各部材が構造計算に基づく設計図面通りに緊結されているか確認する中間検査として大事な検査となる。建築工事的な書斎の完成は9月末を予定している。工事の先がみえて来たので自室を書斎とすべく計画しているのでブログに綴っていきたい。
なぜ、書斎なのか?
われわれが書斎の窓からのぞいたり、ほお杖ついて考えたりするよりも、人生等というものは、もっと広い、深い、もっと複雑で、そしてもっと融通のきくものである。
石川啄木の言葉
インターネットの発達で全てが瞬時につながる時代になった。電子書籍も普通に流通し読まれている。もしかしたら、パソコンかスマホがあれば書斎といっても書棚も本箱も机も書斎にはいらないのかもしれない。蔵書の整理も楽かもしれない。
小学校入学前から定年退職の還暦に至るまで約55年間暮らした家を建て替えしている。亡くなった父が買ってくれた百科事典から少年期、青年期、そして今までに買いためた本の引っ越し、廃棄は大変な労作業となった。古本屋にも相当持って行った。大変だったのは新居に持っていくかはたまた廃棄するかの分水嶺が大変だった。
住まいと言うのは人生における大事な舞台、ステージである。どこに住むのか?環境は?快適なのか?住居の中にくつろぎの自分の空間を持てるということがどんなに幸せなことかと思う。贅沢であろうか?要は自分の居室を書斎とするだけのことなのだが。限られた広さだし予算も限られているからその中で大いなる贅沢をしたいと思う。
石川啄木の言葉を借りれば住まいのステージである書斎という場からこの人間、人生というこの未知なるものを思う存分探索していこうということだろうか。書斎をつくるということは読書の場であり仕事の場を充実させるということだ。人生を充実させることだと思う。
書斎とは?
書斎の定義は、「個人の家において、読書や書き物をするための部屋」のこと。住まいを考える時に、衣食住に欠かせない居間や台所、風呂、手洗い、洗面所といった生活に密接な空間は必須のものである。しかし、書斎は贅沢な印象があるが要は自分の自由な空間というような意味合いもある。書斎がある住まいは憧れでもある。
書斎の歴史は、15世紀はじめにグーテンベルクが発明した印刷技術により書物が手に入れやすくなったこととルネサンスを機に余暇の扱われ方が変化し、自分だけの世界を楽しむ傾向が出てきたことによりヨーロッパの貴族の住まいに書斎の原型があらわれはじめた。18世紀になると手紙や日記が流行。本棚、机、収納機能を備えた家具の登場で書斎文化は発達していく。19世紀になり書斎は一般市民にも普及した。日本においては和室に平机という感じだ。やはり、戦前戦後の近代化により書斎の文化が広がってきたと考えるのが無難であろう。
すこし古いが雑誌記事を引用する。
書斎とは人生の秘密が詰まった小宇宙/文・宇田川 悟(評論家)
月刊誌で10年ほど「男の書斎」という記事を連載したことがある。登場したのは著名な小説家や詩人、学者や俳優、音楽家やデザイナーなど約120人。人選は一任された。時には友人の人脈を借りながら進めた。取材にかこつけて友人知人との旧交を温める機会にもなった。だが、いつもすんなり決まるわけではない。
中には、トイレなら構わないけれど書斎を見せるのはどうもね、とやんわり拒否されることも。確かにトイレは書斎と同様、孤独になれる癒しの聖域である。
毎月、人さまの書斎を訪れるという、健全な覗き見みたいな取材だったが、そんな気持ちを超えて、彼らが語る書斎の話に耳を傾けていると、そこから人生や歴史や仕事や思想が透けて見えてきて、何物にも替えがたいスリリングな体験となった。
書斎は個性を反映していて、極めてオーソドックスな書斎からミステリアスなものやファンタスティックなものまで多様性に富んでいる。時には想像していたのとはまったく異なり、納得したり感心したり、拍子抜けすることもあった。
机に向かう姿も様々。例えば、愛用の万年筆を手に、まるで大地に近づくかのように書斎の畳に正座して机に向かう詩人。強く印象に残ったのが、その机の上に並んだバラエティに富んだ色インクの瓶。日本を代表する詩人である彼の五感に訴える詩の世界にあふれる言葉は、幾つもの色インクで紡ぎだされていたのだ。
また、書斎の鍵を施錠して籠もるという儀式を欠かさない俳優は、古風な机で書をしたためてから、おもむろに読書に耽ったり台本に目を通す。あるいは、書斎を穴倉と呼び、家族と隔絶した環境に身を置く作家がいる。重厚な作品は書斎で執筆し、エッセイは書斎に続く居間で、と書き分ける作家がいれば、独特な空気感が漂う書斎で演出の構想を練る演出家がいる。
書斎に入って気づくのは、書棚とインテリアと佇まいに、主の知的体験や脳内構造が反映されているらしいことだ。みなさんある時期、徹底的に真摯に読書体験という熱いシャワーを浴びていることが分かる。その痕跡が、人によって濃淡はあるが書斎のあちこちに刻印されている。
考えてみたら、書斎を取材するというのは贅沢な仕事かもしれない。普段は滅多に他人を招き入れないだろうし、中には家族さえ入室を拒むようなアンタッチャブルで聖なる磁場なのだから。そこにずかずか踏み込むわけで、緊張しないといえば噓になる。だが、いつも高揚感が勝っていた。つくづく思うのは、ミクロコスモスである書斎には創造の秘密が隠されていることだ。
書斎に入った瞬間、「東京より日本は広い。日本より……頭の中の方が広いでしょう」と書いた夏目漱石の文章が頭をよぎった。書斎は人間の頭の中を鍛える特権的な場だと気づかせられたのである。
MEN’S Precious編集部 BY :MEN’S Precious2016年春号 静謐なる「書斎の名品」より
「孤独になれる癒しの聖域」が書斎なのか?「主の知的体験や脳内構造が反映」されるのが書斎なのか?著名な方々の書斎は宇田川悟の書いた通りだろう。我々、凡人の書斎はその人本人にとって自身の人生の勝利の証といえるものでいい。
書斎の必需品は?
書斎の必需品は本棚、本箱であろう。机と椅子も必要か。本を読むための照明も必要だ。読書する場というのは当然のこと、場所には左右されない。自分が読書する気になればどこでも大丈夫だ。電車で通勤途中でも、病院の待合室でも、人との待ち合わせ時間の待っている時間でも、いつでもどこでも読書は出来る。図書館は読書の場でもある。しかしながら、自宅の書斎は格別な場、特別な空間なのである。
名建築が朝の光で鑑賞し、昼の光で堪能し、月明かりで愛でるべき対象であるように、真の名著は青年期に一読し、壮年期に再読し、老年期にもう一度読むべきもの
カナダの小説家ロバートソン・デイヴィスの言葉
やはり知的好奇心をかき立てた書籍を本棚に仕舞い人生の時々に再びそこに戻っていく。そんな空間が書斎だろうと思う。多くの本を読んできたが何度も何度も繰り返し読んできた本は限られている。すてきな書斎を考え、実際につくって人生の黄金期であるこれからの人生を「いい人生を生きよう」といってくれた恩人のためにも進んでいこうと思う。
そして子どもたちが本に親しみ本を大事にする人生を歩めるようになることが家族の営みとして大事になる。その連綿とした家族の連続、人間の知的好奇心、知的想像力の連続が文明の発展となる。
わが子が、本箱を必要なだけそれえることが室内装飾の極意だと思うような人間に育ってくれたら、もう何もいうことはない
アメリカの作家アンナ・クィンドレンの言葉
全てが人間中心の思考に立ち返っていくことが平和や幸福の構築につながっていく。自分の小さな境涯に閉じこもることなく、読書を通して、こんな世界があるんだ、こんな考え方があるんだと世界の多様性を知り、驚き、自分の思考と考え方に取り入れていくことが大切だ。書斎をつくることが人間復興すなわち新時代のルネサンスとなる。すてきな書斎をつくりたい。それは、自分の贅沢な時間を過ごす場所づくりだ。
まとめ
- なぜ書斎なのか 人生を充実させる空間として存在するのが書斎
- 書斎の歴史 ヨーロッパで貴族の贅沢な生活の空間として発達。グーテンベルクによる印刷技術の発明、発展と軌を一にする。
- 書斎は孤独になれる癒しの聖域 自分自身の知的好奇心と知的想像力の集積地としての空間。
- 書斎の必需品 実は本以外必要はない。しかし、形も大事である。書斎には本棚、机、イス、照明器具等が必要となる。
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